Oct 25, 2010
コスプレ格闘技選手
自分は格闘技を見るのが好きだ。実際には大晦日にも、様々な大会があって、その時もかぶりつき見ることが多いが、最近の選手のコスプレを入場する選手もいる。実際に自分の子供も格闘技の一つである空手をして、様々な大会にも出ているが、選手としてのコスプレをしているというのはある意味よくそれに勝つことができるのだ。ただし、強い選手であることは間違いない。贈り物を受け取るのは嬉しくないだけ与える側は、相手に喜んで受けるために一生懸命考えている。プレゼントは、誕生日やクリスマス、家族の記念日、お世話になった人々に与えることが多いです、特に意味なく嬉しいことです。贈り物に言えばを与えているがものでなくても、感謝の気持ちを送るのもまた興奮している。ものと一緒に普段言えない感謝の言葉を相手に伝えてはいかがでしょうか。
【人生第二幕】元ヤクルト・会田照夫さん
日本プロ野球史上、初めて親子2代で勝利投手となったのが、巨人の会田有志・元投手(27、現同コーチ補佐)と父の会田照夫さん(63)。照夫さんは、1978年に初優勝したヤクルトの広岡政権時代、技巧派の下手投げ投手として先発ローテの一角を担った。引退後は埼玉県春日部市で家業の材木店を経営している。 (聞き手・米沢秀明)
引退した年、自分じゃまだできるとは思っていたけどね。長男だから10年プロでやったら、家業の材木店を継ぐというのは親との約束になっていたんだ。
当時は材木は景気がよかった。今は春日部に材木店は10軒になってしまったけど、そのころは22軒もあったからね。
仕事は近辺に3つある材木市場で材木を仕入れて、工務店や専門店に売ることだった。魚や野菜の仕入れと同じで競り落としてくるわけだ。セリは勝負の世界だからね。ヒノキ、スギが相手になったけど、なんだ野球と同じじゃないかってね。
しかも親父にたった1回だけ競りに連れていってもらって、次からは1人で行け、っていうことになった。何もわからないのに引くのが嫌いだったからね。一番前へ出て値を張っていた。
最初はいくら値を上げてもぜんぜん競り落とせないんだ。当たり前だよ。後ろを見る余裕がないから、誰がいくらの値を出しているかわからなかった。自分の出した値と競っていたことに気がつかなかったんだ。
もともと中学で陸上をやっていて、たまたま野球に借り出されて地元で優勝したのが始まりだったね。野球をやる気はなくて、すぐに跡を継ごうと思っていたのに誘われて進学することになった。大学のときになって初めて「ひょっとして俺っていい選手なのかな」と思ったのを覚えている。
有志と親子2代の下手投げになったけど、自分は高校1年の春にヒジを壊したのが下手投げにするきっかけだったね。当時は下手投げが流行っていたんだ。プロに入って最初の年は前半にいきなり6勝。これはいけると思ったけど、後半は研究されて全然勝てなかった。
プロ野球っていうのはちょっとしたかみ合わせで結果は大きく変わる。みんな実力に大差はないわけだから。監督が広岡さんになって、「会ちゃんの実力は知っているから投げてよ」と言われて投げたら月間MVP。優勝も経験できた。
ふざけて左膝を開いて投げていたら、シンカーが鋭く落ちることに気がついて勝てるようになった。そうかと思えば、左かかとの手術を迷った末にメスを入れたら、若い選手が代わりに大活躍、ということもあった。厳しさも経験したよ。
引退するとき、相馬(和夫元ヤクルト球団社長)さんに「これからは接待する側になるんだから、朝起きたら電信柱に頭下げる練習した方がいいよ」って教えてもらったのを覚えている。
有志(三男、元巨人投手)には細かい技術について指導したことはなかったな。球を長く持つことや、どこで放すか、ぐらい。教えて教えられるものじゃないからね。
まだ現役4年目だった有志に「巨人がコーチをやれというんだけど」と相談されたときは、やはりちょっとびっくりした。早かったからね。でも「20代でコーチというのもいいんじゃないか。自分の判断を信じていいだろう」と話したんだ。
有志がそこで気持ちをコーチに切り替えたのはたいしたもんだと思った。人を教えるのが好きらしい。有志の佐野日大高、中央大の後輩にあたる沢村拓一君がドラフト1位で巨人に入り、順調にキャンプをこなし喜んでいると思う。
家業は埼玉県警に勤務していた次男が帰ってきて継いでくれることになった。人生の大半は野球だったけど、家業を継いでからもう30年になる。野球はいい思い出だ。いい人生を歩んできたと思えるね。
■会田 照夫(あいだ・てるお)1947年6月5日、埼玉県春日部市生まれ。上尾高校から東洋大学に進学。1年時、東都大学秋季リーグで無安打無得点を記録する。三協精機を経て、70年ヤクルトアトムズにドラフト8位で入団。76年に10勝するなど、現役通算10年で29勝45敗、防御率4・34。80年に引退し、家業の「春日部木材」(埼玉県春日部市粕壁東2の11の11)社長を務めている。長男はUBS証券会社シニアエコノミストの会田卓司氏。三男は元巨人投手、会田有志・現巨人トレーニングコーチ補佐。
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