Feb 16, 2011

安くて品質の良いクリアファイル

クリアファイルなんてどこで買ったのも大きな差はないと思って、ディスカウントショップの10枚入り98円を注文した。しかし、これがかなり薄くてペラペラなのだ。かといって、少し高めのカラークリアファイルはかなり色があせるのが早いこともあり、使用中に曲げてしまったりすると劣化が速い。方法に依存するが、最終的に100円ショップのクリアファイルが最も安く、多く含まれており、品質も良いと思う。
私が大学を卒業してすぐに入社した会社では入社すぐに職員研修をしています。 2日間、都内の研修室のようなところが貸切になって、朝早くから夜遅くまでの従業員の研修をしました。社会に出てからのマナーや営業業務の方法など、シミュレーションの種類を混ぜて、色々と学ぶことができた。非常に参考にされています。
【新・関西笑談】めざせ!ハーバード(3)関西大学社会安全学部長河田惠昭さん

 −−先生は学生時代は学問に励んで、災害研究の分野で世界的な研究者となったということですね

 河田 僕? 京大入ったけど、ろくすっぽ授業にでずに、さぼりまくって、教室いかずに、クラブの部屋に通っていたよ(笑)。

 −−今、学生たちに言っていることと少し違うような…

 河田 山登りばっかりしていた。卒業したら、山小屋でもつくって、そこで住もうかとボケッと考えてた。

 −−ずっとそんな調子だったのですか。転機は

 河田 山で死にかけたから。3回生になって、本格的に勉強せないかんといわれながら、山ばかり登ってた。そして、4回生のはじめに、冬の穂高に僕がリーダーで4人のパーティーで行ったんだけど、頂上近くでミゾレが降ってきて、雷が鳴りだした。それで、下山しようということになった。僕がトップで急な雪渓を下りはじめて、あとに3人が続いたんだけど、僕の後ろの同級生が滑落した。

 −−どこまで落ちたんですか

 河田 彼が気を失った状態で僕のところまで滑ってきたので、飛びついてそいつを捕まえるのが精いっぱいで、そのまま一緒に滑っていった。そのとき、これで死ぬかも分からんなと思った。それで、後方に流れていたピッケルバンドを手繰り寄せて、ピッケルシャフトを股の間に突き刺した。そしたら、スピードが落ちてきて、ゆるい勾配でとまった。

 −−同級生の方は無事だったんですか

 河田 顔中血だらけで気を失ってたんだけど、背負えないから、一発顔をなぐって正気にさせて、おぶって下山した。その晩、寝袋で横になりながら、これ以上、山登ってたら死ぬなと考えた。それで、さあー、勉強でもするかと(笑)。

 −−研究者へはどのような道のりでしたか

 河田 はじめ、官僚になろうと思って勉強を始めた。建設省か運輸省(現在はともに国土交通省)かね。海が好きだったのと、当時、運輸省の方が若くして局長になれたので、港湾局長を目指して海岸工学の講座に入った。ところが、図らずも、講座の教授が防災研究所に移ったため、僕もそこへ連れていかれ、海岸災害という講座で一期生となった。

 −−官僚と研究者とどっちが良かったですか

 河田 今の環境でいうと、絶対研究者だね。はるかに社会に対する影響力が大きいからね。官僚は各省益だけを考えて横断的に意思決定しない。それでは国民目線ではおかしいことになってしまう。でもね、研究者としては阪神大震災で目を開かれたと思っている。学問は自己満足になりがちだが、世の中に役に立たないとダメということが身にしみました。

 −−今の政治家は哲学がないという話がでましたが、政治家に興味は

 河田 あと、10年若かったら、大阪府知事に挑戦していたかもわからんね。今はこういう立場だから後進を育てることに全力をあげるけど。(聞き手 北村理)

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 阪神大震災で児童8人が亡くなった芦屋市精道町の市立精道小学校(春名片史校長、709人)で21日、「震災を語り継ぐ会」があった。6年生は総合学習の授業で震災について学んでおり、代表して永江咲希さん(12)が「命について、生きるということについて一緒に考えよう」と5年生に呼びかけた。
 04年から続けており、6年生が当時の被災地の様子やボランティア、復興の歩みなど、6分科会に分かれて学習の成果を披露。同市に来たボランティア数や避難所生活の課題、ライフラインの復旧具合などを、写真パネルや手作りの図表などを使い熱心に説明した。
 震災で教え子を3人亡くした当時の同小教諭からも聞き取りを実施。震災直後、必死に教え子の安否を確認した教諭のエピソードを紹介する際には、涙ぐみ言葉にならない児童もいた。
 説明を受けた5年生は「被災者は本当につらかったのだと思った」「学んだことを来年の5年生に伝えて、震災のことをみんなが忘れないようにしたい」と話していた。【浜名晋一】
〔阪神版〕

12月22日朝刊

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