Jul 13, 2011

コンピュータの修復中に、思わずはまってこうなったのお店

かなり前に自宅で使っていたコンピュータが故障してしまったメーカーで、コンピュータの修理をお願いしたことがあるが、修理されたPCが戻ってくるまでとても暇だったので、近所のインターネットカフェに行って時間をなくしていたことがあります。後にコンピュータの修理を依頼することができないよう、常に気を使ってコンピュータを使用することになりましたが、インターネットカフェというのもなかなか快適な場所のように使用してみて、思わずはまってしまうゴトドゥェオトスプニダ。
2011年6月の500万IDを突破したというドラゴンネストは、爽やかな連続攻撃で敵を倒していくことができる3DアクションRPG。アクションRPGといえば、最近では、爽快感がウリのゲームが多いが、ドラゴンネストは、仲間と協力プレイが魅力のように、最大​​8人までパーティーを組んで戦うことができるようです。
 アップル創業者で前最高経営責任者(CEO)のスティーブ・ジョブズ氏(5日死去 56歳)について、元アップルジャパンマーケティング本部長の外村仁・エバーノートジャパン会長が思い出を語った。【まとめ・岡礼子】

 ◇ある夜届いた伏字だらけのリリース

 僕がアップルに入った1992年、アップルは第2期の上り調子だった。ちょうどマルチメディアブームで、CEOはジョン・スカリー氏。特に日本が「儲け頭」で、マーケットシェアがNECに次ぐ2位、12%と突出して高かった。タイトルにMacがつく雑誌が10誌以上あったほどだ。

 ところが、(マイクロソフトのOSの)ウィンドウズ95が登場したころから、業績が突然悪化して、どんどんシェアを落としていった。製品不良も増え、社長も次々変わって、坂道を転げ落ちるようだった。アメリカでも日本でもどんどん人がやめて、「船が沈む」と実感する日々だった。

 そんな96年12月のある夜、アップルの本社から、「アップルは、×××がアドバイザーに就任することを発表しました。×××は×××で……」という、伏字だらけのリリースが届いた。当時、アップルには情報統制などなく、利用者も販売店も半年先にどのような商品が出るか知っていたほど。そこに突然、伏字のリリースだったから驚いた。わけが分からないまま、隅々まで眺めていると、1カ所だけ消し忘れたように「NeXT」の文字が残っていた。見た瞬間に「スティーブ・ジョブズだ」と直感した。今思えば、それが復活の始まりだった。(注:NeXT社はアップルを追われたジョブズ氏が設立した会社)

 ◇ジョブズ氏の「豪腕」でアップルは復活へ

 それまでも、アップルはいろいろな人を連れてきたが、全然うまくいかなかった。「誰をつれてきても、アップルはもうだめだな」とみんなが思っていた時に、戻ってきたのがジョブズ氏。その時は、今のようにもてはやされていなくて、どちらかというと「過去に大成功した人」というイメージだった。でも、一度追い出された「伝説の人」が帰ってくることに何か感じるものがあって、Mac系の雑誌の編集長たちに「何かは言えないが、次号の最初のページを空けておいて」と電話したことを覚えている。

 アドバイザーとしてアップルに復帰したジョブズ氏の「豪腕」は、その翌月にサンフランシスコで開かれた(展示会の)マックワールドで垣間みえた。マックワールドでは当時のギル・アメリオCEOが2、3時間にわたって長々と話し、その後、ジョブズ氏を紹介した。その日は(アップルの共同創業者で、一線を退いていた)スティーブ・ウォズニアック氏を招いていて、2人のスティーブがそろって壇上に立つ時を「見せ場」にしようという計画だったと思う。

 ところが、ウォズニアック氏が壇上に上がると、ジョブズ氏はすたすた降りて去ってしまった。会場で見ていた人の目には、アメリオ氏がなんとも間抜けで、段取りの悪い人に見えたはずで、これはたぶん、ジョブズ氏の策略だ。「あいつ(アメリオCEO)はだめなやつだ」という印象を植え付けて、最終的にはアップルから追い出した。結果的にはそれが良かったわけだが、ある種の「乗っ取り」と言える。彼はピクサーも同じようにのっとった(注:ピクサー社はNeXT社とは別のコンピューター会社。のちにCGアニメスタジオとなる)

 アップル社内では反発もあったが、反発した社員はことごとく退社したか、首になった。情報統制も厳しくなり、会社の情報が外部にもれたと言って、みせしめに被疑者不在のまま社員を訴えたこともあった。プロダクトライン(製品の種類)も縮まって、それに関わっていた人がやめ、いろいろな意味で会社がシェイプアップした。

 ◇世の中の方が、ジョブズ氏のやりたいことに合ってきた

 ジョブズ氏は、すばらしい業績もたくさんあるが、節目節目にはとんでもなくエゴイスティックで、強引なこともした人だ。ウォズニアック氏とだって、数年間口もきかないほど険悪だったこともある。しかし、それは目先の利益のためではなく、その先にあって、彼がやりたいと思っている大きなことを達成するためだったのだと思う。そのためには手段をいとわないし、妥協してやめたりもしない。ずっと情熱を傾け続ける。人を説得して「うん」と言わせる。

 NeXTコンピューターの時も、(アップルの)マッキントッシュの時も、彼がやりたいことは、当時のCPU(中央演算処理装置)、ハードウェア、ネットワークではできなかった。しかし、(携帯音楽プレーヤーの)iPodの2、3世代目のころから、世の中の方が変わってきた。モバイルインターネットが急速に発達し、ハードも(通信サービスの)クラウドも安価になり、(スマートフォンの)iPhoneや(タブレット端末の)iPadを出した。彼は一番いい時に完全燃焼して、幕を引いたと思う。

 ◇彼の情熱で、世の中の暮らしを変えてほしかった

 今、ジョブズ氏をよく知っているわけでもない多くの人が、アップル社に花を持っていくのは不思議な現象だ。僕自身も、親友でも家族でもないジョブズ氏の死にショックを受けたり、花を持っていったりするのかよく分からない。今の閉塞感あふれた社会で、「私は、こんなふうに世の中を変えたかった」と格好いいことを言い、言うだけ終わらずに具現化できる人はそういないからかもしれない。しかも、僕らはジョブズ氏が世に出したものを手にして、使うことができる。彼のやりたかったことを追体験できて、より深く共感するのかもしれない。

 もし、あと10年生きてくれていたら、僕はジョブズ氏にコンピューター業界以外のところで活躍してもらいたかった。彼の情熱と直感で、世の中の暮らしを変えてほしかったと思っている。

 訃報を聞いた日、僕は知人と3人でシリコンバレーのジョブズ氏行きつけの和食店を予約していた。ジョブズ氏がCEOを退任した後、店を閉めると聞き、最後の週になんとか予約を入れたその日に、ジョブズが亡くなったのは運命のいたずらとしか思えない。

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